旅の思い出 四国一人旅

四国 ユースホステルに泊まりながらの一人旅 50年前のお話しです。

1日目 フェリー(神戸港~小豆島~高松)⇒栗林公園⇒金比羅宮⇒
 神戸メリケン波止場のポートタワー中ふ頭からフェリーに乗船、ドラの大きな音とともに出港。 港を出て直ぐ右側に表れたのが大きなクレーンと、川崎重工に続いて三菱重工、建造中の大きな船たちです。 しばらく大部屋でくつろいでいると、いきなり笛、太鼓、鐘の音にビックリ! 隣りの桝で旅の途中なのか、太神楽(だいかぐら)の曲芸が始まったのです。 周りを乗客が取り囲み拍手喝采です! みんなの顔がパっと明るくなりました。 幸先の良い旅の始まりで~す。

 栗林公園から琴電に乗って、のどかな田園風景を眺めながら金比羅宮へ、西日が長い影をを落とし初めています。 参道入口から蝉しぐれを聞きながら急な長い石段を上りきり、御本宮の展望台から見渡す風景は絶景で、讃岐平野の向こうに讃岐富士が見えます。

2日目 祖谷のかずら橋⇒はりまや橋⇒
 大正時代に建てられたレトロな欧風建築のJR琴平駅から乗車し、大歩危駅で下車してバスに乗車、バスの中は若い世代で熱気ムンムンです。 しばらくすると険しい渓谷の向こう側に、どうしたら辿り着けるのかと思われる所に小さな集落があります。 そして200mも落差のある絶壁には小便小僧が立っていました。 この小便小僧はこの道路建設に従事した、作業員の肝試しが元になっているようです。

3日目 桂浜⇒龍河洞⇒室戸岬灯台⇒最御崎寺⇒
 桂浜から完成直後の浦戸大橋1,480mを歩いて渡りました。 この橋はオールコンクリート製で、シンプルで、まるで白い巨大なスベリ台のようです。 真夏の昼時でしたが、車にも誰にも出会いませんでした。 周りに大きな建物が無く、太平洋の雄大な景観をまるで空中から覗き込んでいるようです。 パソコンで検索すると、最近この橋は自殺者が多く、自殺者の霊が度々目撃されているそうです!。

 龍河洞から電車とバスを乗り継ぎ、室戸岬に着いたころには日が沈み、月夜の明かりを頼りに、熊笹をかき分けながら最御崎寺に辿り着きました。 外国の宿泊客が、目を輝かせながら精進料理をカメラに収めています。

4日目 日和佐薬王寺⇒屋島寺⇒フェリー(高松~小豆島~神戸港)
 四国で最後の食事をと、高松の製麺所に行きました。 入口は開けっ放しで暖簾もなく、敷居を跨ぐと、そこは椅子も机もない広い土間。 竃に二つの大きな茹釜があり、そこから湯気が湧き上がっています。 ここは全てがセルフサービス、自分でうどんをてぼに入れ湯通しし、出し汁を入れて立ち食い、料金30円を笊に放り込むのである。 とにかく安い! 立ったまま食べる讃岐うどんには、戸惑いましたが美味かった。

1999年48歳の時に頭を強打して頚椎椎間板ヘルニアで右手が痺れる。 2011年60歳の時に草刈り機で左足甲裂傷7針縫う。 2015~6年64~5歳の頃には覇気がなく少しボケを感じる。 物忘れや痴呆症ぎみになり、あくびが良く出る、手足に力が入りにくい、ロレツが回りにくい、何か解らないが身体に違和感がある、冬場なのに汗をかく、脈が速い、仕事中に頬杖をつく、足のこむら返り、背中の同じピンポイントで蚊が刺したような痛みを感じる、体重の減少、大泣きした後のようなひくつき、顔面のぴくつき など 2017年1月には服のボタンが留められなくなり、その年の9月にALSの認定がおり、日本ALS協会に入会、尊厳死協会にも入会して胃瘻や人工呼吸器の手術は受けないと決意する。 2019年7月 ギリギリまで頑張ったのですが、食事を飲み込むのが苦しくなり遂に 胃瘻手術を受けました。

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