私とパソコン

今 病院のベッドに横たわりながら、パソコンでブログを書いています。テザリングでパソコンとスマホをWi-Fiで繋ぎ、インターネットが出来ていることが信じられません。

私の若い頃はパソコンが普及し始めた時で、未だソフトがインストールされておらず、N88-BASIC言語でプログラミングして計算やグラフ等を作っていました。文章は手書きから日本語ワープロで作成出来るようになり、客先に提出した書類が赤ペン添削で帰って来ることもなくなりました。喫茶店ではインベーダーゲーム機に夢中になり、まさに激動の時代で世の中がどんどん変わって行きました。

私は1974年に入社するも一ヶ月で倒産、寮に貼られた求人募集でLNG船のタンク防熱を開発中の会社に就職し、開発に参加しました。日本で最初のLNG船に120名が乗船し、三交代で一週間の海上公試に参加出来たのが懐かしい思い出です。とにかく船の馬鹿でかさには圧倒されました(戦艦大和の全長263mよりも長い280mで、最近では300mの船もあります)。低温ガス運搬船の断熱技術者として42年間働きました。

1973年:第1次オイルショックで原油価格高騰、就職難になる。
1975年:日本初のメモリー付き関数電卓CASIO fx-15が16,500円で発売(大卒初任給:9万1300円 )され、科学計算用電卓としては必須の機能で機械式計算機や計算尺を使わずにすむようになった。
1978年:人気タイトーのスペース インベーダーゲーム機登場、2018年で40周年。
1978年:初の日本語ワープロ東芝JW-10が630万円で発売。(4年後にはJW-1が1/10の価格で発売!)
1978年:日本で最初のLNG船「ゴーラスピリット号」完成(世界経済の低迷で引渡し遅れる)。
1979年:第2次オイルショック、造船不況で不当解雇が大ニュースになる。
1979年:プログラム関数電卓CASIO fx-502P(51関数、22メモリー、プログラム:256ステップ)が24,800円で発売。付属の操作マニュアル以外にA4サイズの1センチほどの分厚いプログラム例題集が付いていた。自分で作ったプログラムはマイクロカセットテープレコーダーに録音したり感熱式プリンターで記録していました。
1982年:16ビットCPUを採用して長くベストセラーとなったPC-9800シリーズが発売。本体価格298,000円(ディスプレイ、フロッピーディスク、プリンター除く)パソコンにソフトは付属しておらず、パソコン雑誌などを参考にしながらプログラムを作って自慢するのが楽しみでした。

1999年48歳の時に頭を強打して頚椎椎間板ヘルニアで右手が痺れる。 2011年60歳の時に草刈り機で左足甲裂傷7針縫う。 2015~6年64~5歳の頃には覇気がなく少しボケを感じる。 物忘れや痴呆症ぎみになり、あくびが良く出る、手足に力が入りにくい、ロレツが回りにくい、何か解らないが身体に違和感がある、冬場なのに汗をかく、脈が速い、仕事中に頬杖をつく、足のこむら返り、背中の同じピンポイントで蚊が刺したような痛みを感じる、体重の減少、大泣きした後のようなひくつき、顔面のぴくつき など 2017年1月には服のボタンが留められなくなり、その年の9月にALSの認定がおり、日本ALS協会に入会、尊厳死協会にも入会して胃瘻や人工呼吸器の手術は受けないと決意する。 2019年7月 ギリギリまで頑張ったのですが、食事を飲み込むのが苦しくなり遂に 胃瘻手術を受けました。

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