我が幼少期の原風景

私が生まれた日置村は1955年に3ケ村が合併して城東村となる。 面積 60k㎡、人口 6千人程の小さな山里でした(丹波篠山市の一部分)。 この頃の人と人の繋がりは非常に緊密で、色んな組織が活発に絡み合いながら活気に満ち溢れています。 常に人の行き来があり、沢山の子供たちの声も聞こえて来ます。

とんど焼き: 正月の しめ縄や御札を一ヶ所に集めて燃やし、周りで人々が餅を焼いて食べています。
田んぼ鋤き: 牛に鋤を引っ張らせて田んぼを鋤いています。 遠くの山では、炭焼きの煙がゆるゆると立ち上っています。
肥えたんご: 下肥を入れた肥えたんごを担いで、畑に撒いています。
荷車: いろんな物を積んだ荷車を引っ張りながら通り過ぎて行きます。
遠足: 端午の節句になると、年長者が小さな子供を連れて近くの山に遠足。 山では松の木のてっぺん迄よじ登り、カラスの積み木の実を取って食べました。(マツグミ:赤松の宿り木で緑色の実は粘り気があり、噛むとチューインガムのようだった)
ござ: 田んぼに長いござを敷き詰めて、天日で脱穀した麦を乾燥させます。 時々、とんぼでかき混ぜます。
田植: 近所の人に手伝ってもらって、手で苗を植えていきます。
除草: 手おし式の草取り機で、田んぼの草取りをしています。
夏祭り:  夜になると、 公民館から笛・かね・太鼓・三味線の音が聞こえて来ます、祭り囃子の稽古中です。 お祭りの日には親戚を呼び寄せ、親父が絞めた鶏のすき焼きです、臓物が美味かった。
娯楽: 近くのお寺では青年団主催の映画「怪談化け猫屋敷」で怖がり、檀家主催の「旅芸人一座」の子役の芝居に拍手喝采!
蚊帳(かや):  麻で作った大きな網を寝床の上に吊り下げて、蚊の侵入を防ぎます。 遠くから汽笛が”ポー”と聞こえて来ます。
近くのお店: 駄菓子屋さんと豆腐屋さんの2軒だけでした。
近くの職人さん: 大工さん、左官屋さん、従業員二人の精密金網工場、下駄を作っている人もいました。
ポン菓子: リヤカーに機械を積んだ自転車に乗って、ポン菓子屋さんが来ました。 お米を持っていくと、圧力釜に砂糖と一緒に入れて回転させながら加熱し、大きな爆発音とともにポン菓子が!
紙芝居: 自転車に乗って紙芝居屋さんが来ました。 お菓子を買わない子は遠くから見ていました。
行商人: 自転車に乗ったアイスキャンディー売りや、手押し車に海産物を積んで ”腐っても鯛や” と 臭いのきつい魚も売っていました。
富山の薬売り: 各家庭を回って配置薬を置いていました。 結婚相手の紹介なども。
太神楽(だいかぐら): 各家庭の おくどさん(かまど)の前で 笛・チャッパ(シンバル)に合わせて獅子舞が舞い、祈祷してもらいます。 村の広場では曲芸が披露され、拍手喝采です!
魚とり: 秋が終わると大池の池干しです。 住民総出の魚とりは、大きなうぐい(直径1mの底のない竹藪)や、しっかりした竹枠の網を使い、うなぎ、ふな、もろこ、なまず、どんこ、どじょう、ぬまえび、からす貝、菱の実、 を捕りました。
伊勢講: かぶち(同族)で、毎年交代で食事会をひらいていました。 (元はお金を出し合って、代表者が伊勢参りをする会)
夜回り: 夕方になると、子供が拍子木を叩きながら、”魚焼いても家焼くな~” と大きな声で 回っていました。
稲刈り: 手で刈り取った稲を束ねて、稲木に掛けています。
千歯扱き (せんばこき): 稲刈りが済んだ田んぼで、豆の脱穀をしています。 (爪の付いた足踏み式回転ドラムを回転させて脱穀する農具) 
唐箕 (とうみ): 田んぼで、唐箕を回して穀物の選別をしています。(後ろから風をおくり、軽いゴミなどを遠くに飛ばして選別する農具)
もみ焼き: 籾殻を集めて火をつけ、真ん中に土管の煙突を立てて、燻炭を作っています。 温度は300℃程度なので、焼いもが見事に美味しくやけました。
リンゴ売り: リンゴをトラックに積んで 、青森から売りに来ていました。
みかん売り: みかんをトラックに積んで 、 有田から売りに来ていました。
火事: 冬の夜、火の見櫓の半鐘が鳴り響き、消防団の人たちが消防ポンプを引っ張って走って行きます。 後を子供たちが追っかけます。 3km走ったそこには大きなお寺が燃えていました。
農閑期: 雪の降るころは、竹籠を作ったり、藁草履や むしろ(藁で編んだ敷物)を作っていました。
日役: 道作り(傷んだ道の補修作業)、川掃除、墓掃除、墓堀当番、村山の植林。
寄り合い: 全戸の代表者が公民館にあつまり、色んな行事や会合を行っていました。
結婚式: 家の仏前で結婚式を挙げ、集まってきた人に瓦せんべいを配っていました。
お葬式: 墓場までチン・ドン・シャン(かね・太鼓・シンバル)の音と共に20~30人の大行列です。

1999年48歳の時に頭を強打して頚椎椎間板ヘルニアで右手が痺れる。 2011年60歳の時に草刈り機で左足甲裂傷7針縫う。 2015~6年64~5歳の頃には覇気がなく少しボケを感じる。 物忘れや痴呆症ぎみになり、あくびが良く出る、手足に力が入りにくい、ロレツが回りにくい、何か解らないが身体に違和感がある、冬場なのに汗をかく、脈が速い、仕事中に頬杖をつく、足のこむら返り、背中の同じピンポイントで蚊が刺したような痛みを感じる、体重の減少、大泣きした後のようなひくつき、顔面のぴくつき など 2017年1月には服のボタンが留められなくなり、その年の9月にALSの認定がおり、日本ALS協会に入会、尊厳死協会にも入会して胃瘻や人工呼吸器の手術は受けないと決意する。 2019年7月 ギリギリまで頑張ったのですが、食事を飲み込むのが苦しくなり遂に 胃瘻手術を受けました。

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